kimuchiのブログ

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教会が一つから二つに分かれそのようにして三回に分かれると
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恵みのある家庭は教会に行きません、家庭でひれ伏して祈祷します。
    《礼節と儀式》第三章礼拝と教会生活礼節

黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史」

黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史」


【投稿】K氏より


中華民国出身の黄文雄氏の「日本人に教えたい本当の歴史」
一部抜粋を載せます。



 これまで日本では、歪められた歴史観に基づいた教育や報道が
行われてきました。そうした情報に洗脳されてしまった結果、国
際情勢に対する的確な情勢分析を誤り、結果的に日本の国益を損
なってきたと考えています。



 また、朝鮮人側もかつての宗主国である中国人からバカにされ
ないために、日本人名を欲しがりました。それが「創氏改名」に
つながった一因なのです。しかも、朝鮮では創氏改名は届出制で、
決して強制ではありませんでした。


その証拠に、国会議員になっ
た朴春琴(パクチュングム)や、中将まで昇進した軍人・洪思翊
(ホンサイク)のように、朝鮮人名を名乗り続けた人もいたのです。



 列島の豊かな自然から生まれた日本文明は「共生の文明」でし
たが、中国は有限の資源を奪い合う「寄生の文明」だったのです。
学者のなかには、日本も中国と同じく「儒教文化圏」であると説
く者もいますが、たしかに影響は受けていたものの、儒教は日本
には定着しておらず、日本文明の核心は神仏習合でした。


 古代から中世を経て近世に至るまで、日中文明はまったく対照
的な道を歩み独自の発展を遂げてきたのであり、明治維新後に日
本が西欧近代化してからのことではないのです。




 また、元寇も、朝鮮人が元に要請して起きたことです。『高麗
史』や『元史』には、元の高官は、遠方の日本よりも南宋をまず
攻撃すべきだと主張しましたが、
高麗の忠烈王から執拗な要請があり、日本への侵攻が決定された
と書かれています。



 終戦後も、それまでともに日本人として戦った韓国・朝鮮人は、
自らを「戦勝国」だと主張し、敗戦に打ちひしがれる日本でさま
ざまな乱暴狼藉を働きました。しかし、真の戦勝国であるアメリ
カから、韓国・朝鮮人は戦勝国側の人間ではなく、戦勝国、中立
国のどちらにも当てはまらない「第三国の人間」であるとされ、
それで「第三国人」という言葉が生まれました。


 いまでは「第三国人」という言葉は、韓国人・朝鮮人に対する
差別語だとされていますが、この言葉に否定的な意味がついたの
は、戦後、彼らが行った乱暴狼藉のためであり、それは自業自得
なのです。




 また、開国直後の1855年に来日、伊豆の下田などに滞在し
たドイツ人商人、F・A・リュードルフは、
「日本では所有権を犯す犯罪は、滅多に起こらない。この理由は、
単に所有権を規定している厳しい法にばかりあるのではなく、国
民の誇り高い性格の中に主として存在している。


こうした性格により、日本人は嘘をついたり、物を盗んだり強奪することに、
嫌悪感をもっている。この点において日本人は、中国人と著しく異
なっている」(『グレタ号日本通商記』中村赳訳、雄松堂出版)
 と述べています。

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