kimuchiのブログ

改ざん前のみ言葉と動画で真実を訴えてまいります!

教会が一つから二つに分かれそのようにして三回に分かれると
神は去ってゆきます。天理の原則はそうなっています。
恵みのある家庭は教会に行きません、家庭でひれ伏して祈祷します。
    《礼節と儀式》第三章礼拝と教会生活礼節

顕進様の98年7月19日の世界平和統一家庭連合副会長就任式(ファミリー98.9)

【投稿:N氏】
  顕進様の98年7月19日の世界平和統一家庭連合副会長就任式(ファミリー98.9)のみ言葉を読みました。


そこに、まさに、顕進様、郭先生の置かれた原理的な位置が、明確に、語られているではありませんか。
  これは、きょう、み言葉を読んでいて、見つけたのですが、98年のまさに、その副会長就任式で、顕進ニムの前途について、「蕩減がまだ残っている」として、「堕落した人間にとって天を訪ね求めていく一つの宿命的な課題となっている」ことが、「絶対信仰」「絶対愛」「絶対服従」を持った実体とならなければならない、ということだ、とお父様は、語っておられます。


み言葉から。
 三代までは救援摂理の蕩減が終わっていないので、いずれにせよ、顕進君も「世界平和統一家庭連合」の副会長という責任を負って、いまだにいくべき蕩減の道が残されているのです。ですから、私達の願いは、この蕩減の三代を過ぎて第4次アダム圏解放の時代である地上天上天国の到来を結論づけることです。


 →p11から
  天は私達を喜びの立場で対することができないように追い出されたので、私達が天に従っていき、対そうとすれば、反対にまた、それを再び追い出さなければなりません。神様がいつも人間を追い出す立場であられても、私達はそれを越え、また越え、乗り越えていかなければなりません。たとえ、神様が、私達を個人的に追い出し、家庭的に追い出し、世界、天、地、全世界の何かを条件として追い出したとしても、それに耐えて越えていくことが出来て初めて、私達は神様に対する信仰を持つことができるのだと、考えることが出来ます。


  以下、ずっと続いていきますが、


「信仰の道を行こうとする人に対して、天は虫けらに対する扱いにも及ばない扱いをされたのです。そのような環境であっても信じようとする心を持って、神様が創造主であられ、私達すべての存在全体の生命の源泉であられると、絶対的に信じて行くことができる立場を発見しなくては、人間は動物よりも下に落ち、万物よりも低い位置に落ちた立場からは、上がっていく道がないのです。


そのようにして、万物世界で理想の価値を探し求め、人間世界になってからは、個人的な価値、家庭的な価値、氏族、民族、国家的な価値までも、「絶対信仰」によって、探し求めていくのです。そうして、いちばん底から上がって行きながら、神様に会っても決っして疑わず、自分に対して千万回、「おまえは堕落してもっともである」と言われてもそれを信じてしまうことなく、むしろ、それを悔い改めることのできる立場にまで行かなくては、神様の愛、神様の信仰圏内に入ることはできない、という概念を立てることができます。


  こんな具合です。まさに、顕進様と、郭先生のことではありませんか?
(投稿終了)
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N氏は海外宣教組で帰国された方です。


生活もままならない状況でもいつも感謝で「ヤコブ路程を今歩ませていただいています」
と高齢でありながら質素にアルバイトにて生活されています。


幸か不幸か改ざん・削除された赤表紙のみ言葉は買えませんからファミリーのみ!
幸いにも郭先生の出版本『事〇帰〇』を読むきっかけとなりました。

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