kimuchiのブログ

改ざん前のみ言葉と動画で真実を訴えてまいります!

教会が一つから二つに分かれそのようにして三回に分かれると
神は去ってゆきます。天理の原則はそうなっています。
恵みのある家庭は教会に行きません、家庭でひれ伏して祈祷します。
    《礼節と儀式》第三章礼拝と教会生活礼節

◆入門編『独生女』の発祥からまなびましょう!◆

《緊急レポート》独生女論批判-韓氏オモニの踏絵にNОを!(永田正治教授)
がとても反響を呼んでいますが、初心者の方には、再投稿になりますが・・・



『金ジンチュン天法院長によるひとり子独生女に対するソン・デオ博士のコメント』


      ソン・デオ博士については、知っている方も多いと思うが、世界日報の編集人、筆、副社長、会長を歴任し、現在も韓国平和研究学会理事長、鮮文大学副総長、第三代世界平和教授協議会理事長をしている有名なUCリーダーである。
                      2017/04/12 16:41 
          《再投稿・拡散希望!!》・・・をぜひ合わせてお読みください。




『金ジンチュン天法院長によるひとり子独生女に対するソン・デオ博士のコメント』


元老牧会者会の中央幹部および支会長60余人 協会8階講堂 2017.04.07韓国カフェの記事
一言、言わせて頂きます。


長い間、大変な苦労をされ、多くの研究をされた土台の上に、悩みまで打ち明けられながら語られるのを見て、共感する思いが湧きます。悩んだのですが「共感する」という一言につきます。


金博士の紹介に、自然科学を勉強した物理学者であり、数値で持って、コンピュータでみ言葉を研究したとありましたが、私はそれとは違う出身です。私は、人文学を勉強しました。人文系の勉強をした者なので、そちらから接近しなければならないのではと考えています。


私は、お父様がいらっしゃった時、お父様と一つ屋根の下で、私たち夫婦は57年生きてきました。


父母様に侍り、二人で生きた歳月が57年です。そして、お父様の在世時に自叙伝を編集をし、お父様に報告しながら、整理しました。そして、お父様が聖和された後に遅れて合流し、三大経典の中でも真の父母経の編纂するに関与しました。



その前から、原理講義を中央修練所で長い間した経験があり、最近では10分の40講座を、原理を初めての人に伝えるために平一企画で動画を撮ったりした経験もあり、私としても、今日、金ジンチュン博士がこれまでに書いたものや本、様々な根拠に照らしながら、現在、私たちが直面している問題について悩んでいることを知りながらも、今日ここに、元老牧会者たちのこのような集まりを通して講義するということを、正式に言うと、私は通知を受けませんでした。


なぜ連絡がなかったのかは分かりませんが、連絡がなかったのは職分を任された方の集まりということだからようですが、それでも状況があまりにも重要なので、金博士が前回の基元節での世界指導者総会時の学術会議において論文を発表し、今日、配布した本(「ひとり子独生女真の父母様」)も、前回の公職者総会の時にわたそうとしてわたせず、そのようなことを見た時にとても深刻な問題であると思い、私は今日、わざわざ来ました。



私は今日ここで、金博士の講義内容を聞きながら、ある面、私たちのように墨を食べる者たちが話すことを識字憂患だと言いますが、本当にそうだと思います。多くのことを聞いて、多くのことを研究し分析すると、わけもなく必要でもないことに触れて、さらに頭の痛いことが生じる可能性もあることを私たちは考えなければならないということです。



食口の皆さんが今、信仰生活をされていますが、このようなことをすべて教えてられ、知ることによって信仰がよくなりますか。そのように悩みはじめました。


お父様を、想像さえしてもお父様がどのような方なのか、知っているではありませんか。


お父様の教えは太平洋のように広くて深く、広大無変です。太平洋の海の水全部を私たちがどうしてすべて飲み干すことができるでしょうか。お父様のみ言葉が615冊ありますが、公的私的な場で語られたみ言葉がそれと同じくらいさらにあると思われます。印刷されていないものがです。私だけが聞いた、お父様が私的な場で語られたみ言葉や、また、誰かが録音して保管し、メモされたみ言葉がどれほど多いでしょうか。このようなみ言葉、あのようなみ言葉までのすべてを確認し整理するということは、とてもではありません。


しかし私は「大原則を私たちが揺さぶったり忘れてはならない」という一言を強調したいです。大原則とは何でしょうか!お父様のみ言葉が太平洋のように深く広くたくさんありますが、このお父様のみ言葉と教えを私たちが正確に知るための指標であり、コンパスとする大原則は何なのか、私は原理だと思います。



創造原理と堕落に関するみ言葉、そして蕩減復帰原理、この原理原則は、お父様を正確に知ることができると同時に、お父様のみ言葉を正しく理解するにあたり、原理的に解釈できない部分が私にはありません。原理に精通したと言えば変かも知れませんが、原理を正確に理解している人には、お父様がどのようなみ言葉を語られても、理解できず信仰に問題が生じたり、原理を否定する、そのようなことは私にはありませんでした。


ですから、原理に対する認識を私たちがどのように、適切に、正確に理解するかが重要です。


創造原理、堕落論、蕩減復帰原理、このようなものを正確に知ることは、お父様がどのようなみ言葉を語られても - 今、金博士が天使長に取って食べてはならないというみ言葉をくださったとか、なかったとか、そのようなみ言葉までも - 解釈できないわけがありません。すべて整理できます。


そのように考えると、このような大原則を忘れてしまい、軽視する人たちが、み言葉だけにはまってしまうと道を失ってしまうと思います。ですから、そのような大原則を堅持する私たち教会員となって、後輩たちや子供たち、食口たちに、本当に、大原則、お父様が語られた原理原則を持って解釈する、そのような目を育てなければならないと思います。



次に、今日、質問したいことがたくさんありますが、質問ではなく討議する内容だと思って、ここで一つだけ指摘したいことは、お父様に関して、お父様が16歳の時まで、堕落して原罪があるような気もしたりないような気もして、両面性があったとか、そのようなことを話す必要はないと私は考えています。


一言で言えば、お父様が16歳の時、イエス様が「あなたに私のみ旨、神様のみ旨を受け継いで、再臨主の使命を受け継いでくれないだろうか」として、お父様が深刻に悩み、最終的に受け入れられたではありませんか。



ならば、メシアであったイエス様が、イエス様の後継者、再臨主としてお父様を選択してみ言葉を受けるようにとして受けられたのなら、お父様は生まれた時から原罪のある血統で16歳まで、原罪のあるお父様だったのかというのです。



既に、お父様が「原罪なく生まれた」ということが前提となってこそ、イエス様から再臨主の使命を受け継ぐ資格があるのです。お父様に原罪があり、それを解決するためにお父様が16歳まで戦ったとかどうしたとか、道を磨いて原罪を脱いだとか、そのような論理はありえません。


言い換えれば、お父様のみ言葉をもう一度見ると、いつ、アダムが堕落したのか、


16歳の時に堕落したとされています。それでは、生まれてから16歳の時までは、アダムは神様の主管圏内にいたということです。それのどこに原罪がありますか。お父様が16歳の時、お父様がイエス様から再臨主の使命を受け継いだということが、そういうことです。16歳までは、お父様も生まれてから原罪なく育った上に、再臨主の位置を引き継がれたのです。



それが、何、科学的にDNAを持って話して見なさいとか、科学的に原罪がないことを証明してみろとか、そのようなことを言って騒ぐ人がいますが、話にならない話です。ですから、私はこのようなお父様の血統に関するお父様のみ言葉が、二面性を帯びたみ言葉を語られたと、原理的に説明できなかったり、理解できない部分が全くないということです。それを理解して説明できない人は、原理に関する理解度がなかったり、無知だったりするのです。ところで、この問題に関して、原理原則を投げ出し文字主義に陥ってお父様のみ言葉を解釈しながら、原罪がないとは言えないというふうにごまかしてはいけません。



そんな言葉で、最近では変なことにお母様に関連付けて、重複して、私たちに耐えきれないことまで起きているので、いったいどうしようというのでしょうか。ですから、識字憂患を作ってはならないと、ある線で原理的に整理しておけばよいのではないでしょうか。



また、原理講論に限界があり不足している、そのようなことまで言っていますが、原理解説を出版する時も、お父様が将来、より多くの啓示の新しいみ言葉を明らかにされることを前提にしながら出版すると総序に明らかに言及されており、原理講論の総序にも同じ意味のみ言葉が記録されているではありませんか。原理講論の総序を読んでみてください。お父様がその時までに明らかにされたみ言葉を弟子たちが記録したものが原理講論であるとされています。


ならば、原理講論の発刊後にお父様が多くのみ言葉を語られましたが、そして最後には本体論をあれほどまでに強調されたではありませんか。ところが今、その本体論はどのように整理されているのか、誰にも分からなくなってしまいました。そのようなことが、より深刻な問題です。それほどまでに、摂理の進展に応じて出てきた基本的な経典である原理講論をとんでもない観点から卑下したり、文句的な枝葉末端問題として傷をつける試みはあってはならないことです。



あれこれを見て、この時間、金ジンチュン博士にお願いしたいことがありますが、あまりにもこのようなことを、み言葉の回数がどうであれ、またお父様のみ言葉を文字的に最後まで分析してみるとこうだとかああだとかという話をこのように続けてすることが、果たして私たちの信仰と今後の未来世代のためになっているのかということを深く考えて見るのはどうかという思いを打ち明けながら、今日はここまでに致します。


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