kimuchiのブログ

改ざん前のみ言葉と動画で真実を訴えてまいります!

教会が一つから二つに分かれそのようにして三回に分かれると
神は去ってゆきます。天理の原則はそうなっています。
恵みのある家庭は教会に行きません、家庭でひれ伏して祈祷します。
    《礼節と儀式》第三章礼拝と教会生活礼節

《家庭連合が分派・異端であることの理由とは》NO,2

《家庭連合が分派・異端であることの理由とは》NO,2


5,ソン・デオ博士が独生女論を批判



韓氏オモニの独生女論に対し、家庭連合内部から批判が噴出しました。4月29日、ソウルの協会本部8階講堂で、金振春院長が60名の指導者に独生女の講義を行い、それに対し、ソン・デオ博士が反論したのです。要約は以下です。



このような話を聞いて信仰がよくなりますか。アボニムの教えは太平洋のように広く深く広大無辺です。み言集だけでも615冊、その他の公私にわたるみ言を合わせれば同じくらいあるでしょう。そのすべてを確認し、整理することなどできません。しかしアボニムのみ言を正確に知る大原則があります。



それは原理です。原理に基づけば、アボニムのみ言を原理的に解釈できない部分は私にはありません。しかし、この大原則を忘れ、み言だけにはまると、道を失います。また、アボニムが16才まで原罪があったかどうかなどは話す必要はありません。



アボニムが原罪なく生まれたということが前提となってこそ、イエス様から再臨主の使命を受け継ぐ資格があるのです。それが何、DNAや科学的に証明せよとか言ってさわぐ人(金振春院長を指す)がいますが話になりません。



ソン・デオ博士といえば、原理とみ言を深く理解し、その本質を突いた話は誰もが感銘をうけるアボニムの懐刀のような方です。こんな場で、韓氏オモニの御威光を背にする金振春院長に対し、堂々と批判し、正論を述べるとはさすがです。ソン・デオ博士は、韓氏オモニの踏絵を立派な反対理由を述べ突き返したのです。



ソン博士は、反骨精神旺盛な高麗大学出身ですが、教会で高大出身者の影響力は大きなものがあります。梁昌植氏もソン先輩を見習うべきです。博士の勇気ある行動に多くの人々が続くことを願います。



まちがいなく、ほとんどの人は、ソン博士とおなじことが言いたいのです。しかし他の幹部は、ソン博士のようにアボニムに信頼されていた確固たる経歴や勇気がないので、韓氏オモニが恐ろしくて、「面従腹背」しているのです。



 反論の内容もさすがです。金振春院長の講義内容は「食口の信仰に役立たない」、「原理的でない」、「み言を利用し道を失っている」、「イエス様の使命を引き継いだアボニムに原罪があるはずがない」と、独生女論の核心をバッサリ切り捨てました。



 まさにソン博士の言う通りです。韓氏オモニの言っていることが真実か否かは、原理と独生女論が、矛盾せず合致するものか否かを検証すればいいのです。
そこで、まずもって問題になるのは、総序の記述です。「それゆえ神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。



 そのお方こそ、すなわち、文鮮明先生である」という重要箇所です。この「神は文鮮明先生〈一人〉を遣わした」は、食口が長く共有するメシア観であり、アボニムも加筆訂正は命じませんでした。



 しかし、家庭連合がいうように、韓氏オモニが「無原罪の独生女」ならば、神は文鮮明先生一人だけでなく、韓鶴子様も遣わしていたということになり、この部分を書き改めなければなりません。



 しかし、いったいどう書くのでしょうか。原理講論の出版後50年ものあいだ改めなかったものを、文鮮明先生聖和後、神が韓鶴子様も遣わしていたことが遅まきながら分かり、書き換えたということになります。メシアの死後に、その夫人が、自分が無原罪の独生女だと名乗りはじめ、メシアが一人から二人に増えたということなのです。



 この場当たり的な過程自体が、二人のメシアの葛藤関係を露呈し、宗教の中心が分裂し、動揺していることを内外に示します。こんな出鱈目な教義を、誰が納得するでしょうか。



 それにより、教義の一貫性と統一性が失われ、統一原理の根本が崩壊し、家庭連合が、辻褄が合わない教義をもつ低級な宗教に転落してしまいます。このように独生女論は、原理の総序の内容と根本的に合致せず、矛盾します。



  一方、原理の救済摂理と独生女が合致できるかを考えてみましょう。再臨と救済に関する部分は以下です。



 ゆえに、イエスは〈自ら〉神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らをして原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。(キリスト論P268)



 原理講論は1966年に出版されました。徳野会長が指摘したように、アボニムは1959年以降180回、独生女という言葉を使いました。ではなぜ、59年から7年後に出版された原理講論に、独生女という言葉があらわれないのでしょうか。



  独生女が、韓氏オモニがいうように、アボニムを完成人間にするほど救いの摂理にとって重要な存在ならば、原理講論で教義化しなかったのは、明らかな不備であり間違いです。
 上記の〈自ら〉には〈独生女を迎え〉という言葉が入るべきです。



しかし、言葉を入れるだけでは済みません。独生女にもメシアと同じような宗教的背景がなければならないのです。「メシア」とは、旧約・新約時代のメシア思想、メシア待望信仰の上に立つもので、その宗教的、歴史的背景があるから「救世主・メシア」が成立するのです。


しかし、独生女には、「独生女思想」も「独生女待望信仰」もなく、ユダヤ・キリスト教の宗教的、歴史的背景が全くないのです。1966年にアボニムが、原理講論で独生女を教義化しなかったのは、そもそもできないからです。韓氏オモニは、「人類歴史6000年は独生女である自分を迎えるためのものであった」と主張しますが、そんなことは、旧約、新約聖書の内容のなかに、宗教的にも歴史的にも、証明できるいかなる根拠も見い出せない、虚構のはなしです。



6,アボニムのメシア性



私の記憶では、アボニムのみ言に、自分よりもイエス様よりも、アダムは清い血統の人だったという内容があったと思います。堕落以前の時代に生まれたアダムは、最もすばらしい血統だったということです。イエス様とアボニムの血統問題ほど難しいものはありません。それについてアボニムのみ言をあげてみましょう。



 (A)幼い頃から先生は堕落の血とは関係がないというのです。それを知らねばなりません。先生は堕落した血統によって生まれて―、という人は狂った人達です。原理を知らないのです。   (『み言選集』真本611巻P307-308)        



(B)お母様は生まれながらのお姫様のように生まれて、再臨主の奥様として生まれたと思いますか。言ってみてください。堕落した血統を持って生まれてきたのです。
(『み言選集』461巻. 2004.7.19 P26)



ところが金振春院長は、自身が堕落の血統をもって生まれたというアボニムのみ言を探し出し、独生女論の根拠としました。



(C)先生も堕落の血統を受けて来たため、それを漂白を何度もして白紙状態として文章を書けるようにしたのです。     (『み言選集』296巻.1998.11.3)



うえの(A)、(B)は、私たちが長く共有してきた、アボニムと韓氏オモニの血統観といえます。それに対し、(C)は、私たちが全く共有しないみ言で、40年以上信仰のある食口もこんな内容は知りません。これこそ、膨大なアボニムのみ言から、自分に都合のいい箇所を探し出し、偽りの説をつくり上げる、家庭連合が行なう教義ねつ造の典型的手法です。



クリスチャンは、イエス様を無原罪の独り子、メシアと信じます。しかしこれは、誰も事実を確認できない不可知のことで、信じる者にとっての真実なのです。では、人にイエス様をメシアと信じさせ、信仰の力を与えるものは何でしょうか。それはメシアでなければ持ちえない偉大な愛と信仰、それに基づく苦難に満ちた実践です。それがあるがために、人はイエス様をメシアと信じ、限りない信仰の力を得ることができるのです。これがイエス様におけるメシア性です。



もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう。
(ヨハネによる福音書10章)



熱心なカトリック信者であるメル・ギブソン氏が、映画「パッション」(2004)で、イエス様がうけた拷問と十字架刑の苦痛をリアルに描いたのも、彼のイエス=メシア信仰の表明といえます。昨年、マーティン・スコセッシ監督が遠藤周作の「沈黙-サイレンス-」という映画をつくり、話題になりました。



主人公のロドリゴが苦難と迫害に耐えるシーンがあらわれますが、小説では、ロドリゴは苦しみ悩むとき、何度もイエス様の顔、特に十字架上のイエス様の顔を思い浮かべます。人が苦しみの絶頂にあるとき、救いと力を与えてくれるものは、崇高な人物の苦難にまみれた生きざまなのです。



これは、他の宗教の聖人、教祖も同様です。そして、私たちのアボニムは、どの宗教の聖人よりもこのメシア性を所有された方です。「先生に財産があるとしたら、血涙。神さままでも泣かざるを得ない。これしかない。(み旨の道)」などのみ言と、生涯の歩みがそれを証明します。



アボニムは1946年、すなわち26才のとき、平壌に宣教に行かれました。そのときすでに新しいメシア観、救いの教理をたずさえ伝道したのです。それが故に、キリスト教と北朝鮮当局から激しく迫害されました。脱北者の悲惨な証言を聞けば、興南刑務所でアボニムがうけた苦しみがどんなにつらいものだったか想像できます。このように、救いの教理と、迫害、苦難の歩みは表裏一体のものでした。



先生がここまでくるには、どのくらいの蕩減の価を払ったか、どのくらい真剣だったか分からない。牢屋が問題ではない、拷問が問題ではない、首が飛ぶのが問題ではない。―― その真剣さは神を感動させ、神が同情せざるを得ない。 (「理想相対」1969.2.4.東京)



ですから、アボニムにとって、自身と人類の血統転換は、血統という単なる先天的なものだけではなく、苦難と犠牲の歩みと不可分のものだったのです。



ここまでくるには、血統的転換をいったい誰がするかというんだね。これは誰もできない。先生がやってきた。これは涙ぐましい、並々ならぬ心情的十字架を背負ってきたことを、あなたたちは分からなければならない。



―― 転換の勝利圏を立たせるには、数千年の神の苦労のもとに、実体を中心とした先生の生涯のもとに植えて、神さまを下に、先生を下に足場として立ったのがあなたたちだ。  (「血統的転換」1970.10.13.韓国水沢里)



私たちが、アボニムをメシアと信じ、信仰的情熱と活動の原動力を得ているのは、人の救いのために通過したアボニムの苦難と犠牲の歩みというメシア性なのです。そしてこれは、アボニムの個人的要素で、誰も犯すことのできない神聖なものです。



こう考えて見ると、韓氏オモニが「栄光の賜物」の天一国国歌を、基元節を機に、電光石火のごとく廃した理由が分かります。食口が、アボニムのメシア性を強力に発信する「栄光の賜物」の天一国国歌を歌っていたら、とうてい独生女論などは主張することはできなかったのです。



 韓氏オモニの独生女論は、不可知のメシアの血統だけを問題にし、「人がなぜメシアを信じるか」についてはまるで欠けているのです。私たち食口にとってアボニムの苦労の歩みは、成約信仰の最大の共有事項です。



 しかし、韓氏オモニにとって、アボニムの苦難と犠牲の生涯は、いったい何なのでしょうか。この方から、アボニムを讃美し、証する言葉はまったく聞くことができなくなりました。



  韓氏オモニは、自分が無原罪の独生女だということを、神学者に説明させています。天正宮の豪華なお部屋で、学者に命じ、自分が女性メシアであることを食口に説明させる、歴史上、こんな安楽なメシア、預言者、教祖はいなかったでしょう。



 イエス様もアボニムも血を流して自身がメシアであることを証明したのです。それが宗教家の本道です。自分がメシアであることを自身の生きざまで知らせず、学者を使って信者に説明させるメシア、それだけでも、この方はおかしいと思わなければなりません。



7,沈みゆく家庭連合の船からアボニムの船へ



《 独生女論はパリサイ人の立場 》
  私たちに無原罪の独生女による救いが必要でしょうか。アボニムが地上にいらした時、私たちの救いは不充分だったのでしょうか。もし不充分ならば、他の救いが必要でしょう。しかし充分ならば、独生女論はいったい何のために存在するのでしょう。



  アボニムは人類全体を救う完全な方法をつくりあげました。それは巨大で堅固な大船(たいせん)に譬えられます。何十億、何百億の人でも、アボニムの真理を受け入れ、祝福を経れば原罪を清算し、救いを得ることができる巨大な船です。これで充分なはずです。独生女論という新しい救いなど不必要であり、むしろアボニムの真の救いにとって障害物になります。



  いまの家庭連合は「独生女」を認めなければ居ることができません。「改ざん天一国国歌」を歌い、「天の父母様」という神の呼称を使い、「韓氏が選ばれた氏族」であると認めなければなりません。これらは、救済観、天一国国歌、神観、血統観など、信仰の根本にかかわるものです。これが変われば別の宗教になってしまいます。すなわち、今、皆さんが乗っている船は、アボニムの大船ではないのです。



  すでに多くの人々が、アボニムの大船に乗り救われたにもかかわらず、韓氏オモニは、「独生女」という名の自分の船に乗れと要求しているのです。この韓氏オモニの船は、2014年4月、多くの若者を死に追いやったあのセウォル号を思い起こさせます。



 4月24日、全国教区長戦略会議で、金振春院長による、独生女論の発表後に行なわれた質疑応答で、「韓氏オモニの血統が原罪がない血統だということは認める」と協会役員、教区長は暗黙的な同意を示したそうです。



  「しかし、アボニムが原罪がある血統だったということは言わないでほしい。食口たちがこの内容を知れば、衝撃と混乱におちいるだろう。だから食口たちにはこの内容を知らせないようにしよう」と合意したといいます。



  これほど偽りに満ちた合意があるでしょうか。ここには真実も、食口に対する愛もありません。まるで、セウォル号の船長や乗組員が、船が沈むことを知っていても乗客に知らせず、救出もせず、自分たちがいち早く逃げたことと似ています。



   彼らが真の牧会者ならば、ソン・デオ博士のように反対を表明し、食口に韓氏オモニの真実を知らせ、家庭連合から共に退会するのが正しい選択ではないでしょうか。自分と食口の永遠の命がかかっているのです。このような苦しい立場に立たされた時こそ、アボニムから学んだ「良心」にしたがうべきなのです。



  独生女論は、アボニムを偽り者とし、アボニムの神性と教えを破壊する神学です。それを受け入れるということは、イエス・キリストを偽り者とし、殺害に同意したパリサイ人とおなじ立場です。独生女論はメシア・アボニムを否定する現代のパリサイ人の教えなのです。そんな教えをもつ人が、霊界でどんな裁きを受けるか、恐ろしいとしか言いようがありません。



  おおくの食口は、アボニム聖和後の家庭連合は、なにか変だと感じていると思います。現在、家庭連合は、清平に巨額の献金をつぎ込んで、多くの施設をつくろうとしていますが、当の韓国自体がどうしようもなく停滞し、危険な状態です。アボニム時代、韓国には輝く未来が予想され、献金の価値がありました。



  しかし今、韓国の未来には暗い材料しかないのです。問題は、家庭連合がこの不都合な事実について一切口にしないことです。皆さんはこの重大事に対し、「知らぬが仏」では済ませられません。韓国の窮状と、韓氏オモニのアボニムへの裏切りは、決して無関係ではないのです。



 それをもと返すため、いわゆる分派扱いされてきた組織及び教会は、東アジアの危機に警鐘を鳴らし、韓国、日本、アメリカの団結を推進する運動を展開し、韓国の保守派デモでは驚くべき影響力を発揮し、日本でも着実に成果をあげています。アボニムだったら同じことをしたはずなのです。



 また今の家庭連合の活動は、アボニムの遺産を食いつぶして行われています。アボニムが永久に保存しなさいと命じた水沢里の聖地一帯も破壊し、マンションを建設しています。水沢里聖地にあった修練所は、アボニムが多くのみ言を語られました。



 1990年代初め、ここで日本女性に対し、高齢のアボニムが必死でみ言を伝えたのです。水沢里聖地は統一食口にとって命のように大切なところです。また、多くのみ言を語られ、行事も挙行した、ニューヨーカービルも売り払ってしまいました。



  家庭連合は、これらアボニムが活動され深い心情が染みついた貴重なものを現金化し、HJ天苑プロジェクト資金に充てています。こんな計画をアボニムが認めるはずがありません。彼らは何が真に価値あるものか、分からなくなっているのです。



  韓氏オモニがアボニムに対する背信行為をやめなければ、韓国の運命は窮し、亡国の道に迷い込みます。北朝鮮の核ミサイル開発がつづけば、韓国に甚大な被害がおよぶ、戦争の勃発は避けられません。また、核武装した北朝鮮と北に追従する文政権のもとで


-------(引用終了)------


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