kimuchiのブログ

改ざん前のみ言葉と動画で真実を訴えてまいります!

教会が一つから二つに分かれそのようにして三回に分かれると
神は去ってゆきます。天理の原則はそうなっています。
恵みのある家庭は教会に行きません、家庭でひれ伏して祈祷します。
    《礼節と儀式》第三章礼拝と教会生活礼節

英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓国主張崩れる ...

英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓国主張崩れる ...


https://ameblo.jp/gc57/entry-12423954080.html



11月29日、今度は戦時中の三菱重工業へ動員された元朝鮮女子勤労挺身隊員の韓国人女性ら5人が、同社を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、韓国の最高裁が賠償支払いを命じる判決を言い渡したそうですね。


・・・100%予想された事だけれども、韓国のクズさ加減に言葉も出ません。


旧朝鮮総督府 1995年に解体


上の件自体にはコメントはしませんが、今だからこういう事も改めて指摘しておきましょうか。
以下は、17年前の産経新聞のニュース報道の引用です。


産経新聞 2001年11月27日


英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓国主張崩れる


【ソウル26日=黒田勝弘】
日韓の歴史認識問題で大きな争点になっている日韓併合条約 (1910年)について合法だったか不法だったかの問題をめぐり、このほど米ハーバード 大で開かれた国際学術会議で第三者の英国の学者などから合法論が強く出され、国際舞台で不法論を確定させようとした韓国側のもくろみは失敗に終わったという。


会議参加者によると、合法論は国際法専門のJ・クロフォード英ケンブリッジ大教授らから出され、「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」と述べた。


また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても、「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914~18年)以降のもので当時としては問題になるものではない」と主張した。


この学術会議は米ハーバード大アジア・センター主催で16~17日開かれたが、韓国政府傘下の国際交流財団が財政的に支援し韓国の学者の主導で準備された。


これまでハワイと東京で二回の討論会を開き、今回は韓日米のほか英独の学者も加え、いわば結論を出す総合学術会議だった。


日本からは海野福寿・明大教授や笹川紀勝・国際基督教大教授、原田環・広島女子大教授ら五人が参加したが、海野教授の「不当だが合法」論や笹川教授の不法論など見解が分かれた。


韓国側は、「条約に国王の署名がない」ことなどを理由に不法論を主導している李泰鎮・ ソウル大教授はじめ全員が不法論で、会議をリードしようとした。


しかし日本の原田教授は併合条約に先立ち日本が外交権を掌握し韓国を保護国にした日韓保護条約(1905年)について、皇帝(国王)の日記など韓国側資料の「日省録」や 「承政院日記」などを分析し、高宗皇帝は条約に賛成し批判的だった大臣たちの意見を却 下していた事実を紹介し注目された。


併合条約に国王の署名や批准がなかったことについても、国際法上必ずしも必要なものではないとする見解が英国の学者らから出されたという。


日韓併合条約については韓国や北朝鮮からはいまなお執ように不法論が出され謝罪や補償要求の根拠になってきた。


日韓国交正常化の際も激しく対立したが、合法・不法の結論は出さず「今や無効」との表現で国交正常化(1965年)にこぎつけた経緯がある。


以上、記事引用終わり。



韓国の狂った歴史認識と司法判断の根本は、日韓併合が「不法」という大前提に立つ事からスタートしています。


しかし日韓併合は当時は勿論、現在でも国際的に韓国が主張するような「不法」とは認められていない、という結論が既に国際的に確認されている訳ですね。確かに民族としての誇りが棄損された感情は理解できますが、現実を見ようとはせず、ただ自己中の屁理屈をこねる事でかろうじて自我を保つ姿は哀れでさえあります。


2001年当時、この会議の事を報じた日本のメディアは産経以外、あまりなかったとの事で、この国の報道にもため息ですな。今こそ、この学術会議の結果を改めて報道しろ!


興味のある人は、Wikipediaにも「韓国併合再検討国際会議」という項目があるので、ググってみてください。


----「THE FACT」 マスコミが報道しない「事実」を世界に伝える番組(省略)----


上の動画の中で、台湾出身の黄文雄氏は
「朝鮮総督府は万民平等を実現して、近代法を作って、リンカーン以上の数百倍の奴隷解放をやった」
とまで言っていますね。



日韓併合を調べれば調べるほど、如何に併合前の李氏朝鮮が朝鮮民衆を虐げていたかが浮き彫りになってきます。


朴正煕はその事をよく自覚しており、著書の中で、
「わが民族史を考察してみると、情けないというほかない(『国家・民族・私』)」
「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である(『韓民族の進むべき道』)」
と書きました。


つまり日韓併合時代こそが、それまでの朝鮮史の中で一般朝鮮民衆が一番幸せな時代だったと言えるのです。もっとも、両班といった特権階級は面白くなかったでしょうが。そう言えば初代韓国大統領で、反日政策を開始した李承晩は両班出身でした。


一方、日本にとっての日韓併合は政策としては大失敗であった事は間違いありません。隣にいるだけで厄介な民族なのに、「日本人」という資格を民度の低い彼らに与えてしまい(日本の先祖に対する冒涜です)、戦後に至っても致命的なまでに深く、深く関わらざるを得なくなってしまったのだから。

×

非ログインユーザーとして返信する