kimuchiのブログ

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恵みのある家庭は教会に行きません、家庭でひれ伏して祈祷します。
    《礼節と儀式》第三章礼拝と教会生活礼節

《二世公職者家庭の声明文の感想》

《二世公職者家庭の声明文の感想》桜井正上氏引用


一粒の麦 ~韓国の兄弟のメッセージに触れて
2018-06-02 23:55:43
テーマ:顕進様、人と思想


先日5月31日、韓国在住の二世家庭(韓日家庭)の兄弟が、「食口たちと弟妹たちに捧げるメッセージ」と題する公開書信を発表しました。


彼は韓国・安山(アンサン)教会の二世部長(日本における成和学生部長)で、基盤のないところから、二世の兄弟姉妹の一人一人に投入し、父兄からも篤い信頼を寄せられていた青年だったといいます。また、そうした取り組みが全国の模範事例として取り上げられ、全体の前で発表したこともあったようです。


数ヵ月前、私は一度、彼から連絡を受け、話を交わしたことがありました。彼の質問はこうでした。「家庭連合の公職者として、責任を担っていた立場として、声を上げる決断をすることに躊躇いは感じなかったのですか?」と。


躊躇いを感じなかった訳などありません。いえ、躊躇いの連続でした。私はそんな率直な思いを話しました。


彼は二世教育に全身全霊を投入しつつも、家庭連合の行く方向に憂いを覚え、苦悩する一方で、顕進様の真実に気付き、自分がそこから目を背けていいのかを思い悩んでいました。彼の親も、奥さんの親も、両方とも公務に携わっている家庭であって、別の立場をとることが容認される訳もありません。


韓国に奥さんを迎え、二人の家庭生活が始まり、ちょうど子どもが生まれて間もない状況でした。住居を構え、家庭としては、ささやかな幸せを感じている、とも話していました。


その彼が、自分の家庭や家族のこと以上に、何よりも心配し、躊躇っていたのは、自分を信じてくれている弟妹たちであり、父母たちのことでした。「こんな足りない自分をも、頼りとしている人がいる」、それが、彼が行動を起こすことに躊躇いを覚えていた一番大きな理由でもありました。「自らの信念に基づいて行動に出たなら、自分がどうなるかは目に見えている。彼らを置いては行けない。どうすることが正しいことなのだろうか…」。 


そうした気持ちは痛いほど分かりました。しかし、だからこそ、私は彼の質問には明確な答えは出しませんでしたし、出せませんでした。大きな犠牲を伴う決断だけは、誰かが口出しできることではないからです。「祈って答えを出したらいい」、それ以外に言えることはありませんでした。


しかし私はその時、こうも思いました。「ああ、彼は天に掴まれたんだなぁ」と。苦悩する彼の中に、それでも天の願いに生きようとする必死な思いと強い意思を感じたからです。


とても心の優しい青年でした。それだけに、こうした決断は大変な痛みを伴うものだったに違いありません。奥さんもそうだと思います。


その後、彼とは話をしていませんが、今回の行動が、彼の出した答えだったのだろう、と思います。彼の家庭のことを思うと、心配にもなりますが、しかし、正直、彼のこうした決断に嬉しく思う気持ちがあり、また、こうした決断を下した彼を誇らしくも思います。


恐らく、彼を知らない多くの人にとっては、「またどこかの誰かが声明文を出した」とか、或いは、「周囲のことよりも、自分の信念のほうが大切なのか」とか、心ない言葉が飛び交うのかもしれません。


しかし、私には分かるような気がします。彼はとても二世の弟妹たちを愛していました。その父兄の痛みや憂いを最後まで心配もしていました。彼がとった最後の決断は、恐らく、誰が何と言おうとも、「弟妹たちのためだったのだ」と、そう思います。


自分一人が「生きよう」として取った行動ではなく、自分をなくし、全体を「生かそう」としたのだと、そう思うのです。それは恐らく、聖書にある「一粒の麦」のような思いだったのかもしれません。


「一粒の麦、死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば、多くの実を結ぶべし」(ヨハネ伝12月24節)


安山(アンサン)教会・二世部長(二世日韓家庭)
「愛する食口たち、そして弟妹たちに捧げるメッセージ」(2018.5.31)


https://drive.google.com/open?id=1r0ws203m2gGEnhbZx-jx4na3IxwT8Dh4




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